生産者(漁師)から、産地市場、築地などの中央卸売市場、仲卸業者、配送業者を経て、飲食店へ――。長い年月をかけて作り上げられた従来の鮮魚流通には、魚の安定供給に貢献するといった利点がある一方、非効率な流通や中間コストの増加など、多くの課題が存在した。そこにタブレットを使ったeコマースの仕組みを導入し、新たな鮮魚流通のあり方を提案したのが松田雅也氏率いる「八面六臂」だ。同社のサービスは「鮮魚流通に革命をもたらした」と多くの称賛を受けたが、その道程には多くの困難が待ち受けていた。

松田雅也 -Masanari Matsuda-
1980年生まれ。2004年、京都大学法学部卒業後UFJ銀行(現 三菱東京UFJ銀行)に入行。翌2005年には独立系ベンチャーキャピタルへ転職し、その2年後にはエナジーエージェントを設立、社長に就任した。電力購買代理業を軸にしたビジネスを展開したものの成果が伴わないことから同社を休眠すると、2009年、総合物流企業の新規事業立ち上げに参画し、2010年には取締役に就任。同事業は拡大に成功したが、そこでの経験も活かした2度目の起業に取り組むべく、休眠させていた自社を再稼働。2011年「八面六臂」としてのサービスを開始した。食品流通にITによる変革をもたらしていこうという「八面六臂」の取り組みは、鮮魚を皮切りに青果、精肉、酒類にまで広がり、急成長を果たしている。


ITの力で、鮮魚流通に革新を起こす

「八面六臂は鮮魚のAmazon.comです」

八面六臂株式会社の代表・松田雅也氏は、以前、自社のビジネスについて質問されると、こう答えたという。多くの人々に同社のビジネスモデルを一瞬で理解してもらうには、Amazon.comと表現するのが都合がよかったからだ。

「でも最近では、『八面六臂は、料理人向けのアスクルです』と答えるようにしています。当社のビジネスはB to CではなくB to Bですし、料理人の方が飲食店運営のために必要とする生鮮食品を注文の翌日に届けるという点で、こちらのほうが現在の八面六臂の姿を正しく表現していると思うので」

同社のビジネスモデルを簡単に紹介すると、次のようになる。まず、各地の生産者や産地市場、中央卸売市場などから買い付けた生鮮食品を、商品データ化し、自社で構築したシステム上にアップ。飲食店からの注文をスマホやタブレット、PC経由で受け付け、鮮魚であれば切り身にする、1/4におろすなど要望に応じた加工をほどこし、飲食店の店舗まで配送する。

文章にすればシンプルなビジネスモデルに見えるが、実はここには2つの画期的な取り組みが含まれている。

1つは、飲食店向けに、スマホやタブレット、PCといったITツールを通じて容易に生鮮食品の注文・購入ができる環境を用意したこと。

もう1つは、飲食店から注文があった商品を直接、八面六臂が買い付けること。同社が開拓した生産者・産地市場・中央卸売市場などの幅広い取り引きルートから、その時々に応じて独自の買い付けを行うのである。これによって飲食店は、中央卸売市場にあまり出荷されない珍しい魚や、傷みやすいがために従来の流通経路で輸送するのが難しい魚なども、漁業者や産地市場から直接仕入れることができる。また、複数の仲卸業者の手を経る必要がなくなり、中間コストが上乗せされない金額で商品を仕入れることができるわけだ。

画像: 八面六臂は、築地市場や大田市場といった中央卸売市場のほか、全国各地の産地市場、生産者からの独自仕入れを組み合わせ、多彩な水産物、青果、精肉などを飲食店に提供する

八面六臂は、築地市場や大田市場といった中央卸売市場のほか、全国各地の産地市場、生産者からの独自仕入れを組み合わせ、多彩な水産物、青果、精肉などを飲食店に提供する

八面六臂がサービスをスタートさせた2011年当時、すでに多くの業界や領域でITによる革新が進行していた。しかし食品流通の領域にはなかなかITが浸透せず、数十年前から続く電話やFAXでの注文が中心だった。また、流通経路についても、たくさんの中間業者が存在することで、飲食店の手元に届くまでに、多大な工程やコストがかかっていた。

「こうした生鮮流通の“非効率”をなくすために、ITの力を使って革新を起こす。それが、八面六臂を立ち上げた最初の狙いでした」と松田氏は振り返る。

スマホ、タブレットの普及が追い風に

松田氏が、従来の鮮魚流通に多くの課題が存在することを知ったのは、前職である物流企業に所属していた時だった。

「その会社で私は、新規プロジェクトのIT責任者として働いていました。つまり、物流とITの専門家として働いていたわけですが、そんな中、たまたま水産業者の方と知り合う機会があり、鮮魚流通の世界は、旧態依然とした煩雑なプロセスのままだという話を聞きました。そして、この状態を改革する方法はないかと相談されたのです」

画像: 八面六臂 松田雅也氏

八面六臂 松田雅也氏

さっそく松田氏が築地市場や飲食店を訪ねてみると、確かに従来の鮮魚流通には、非効率な工程が少なくなかった。飲食店は、欲しい魚が入荷するかどうか確かめるすべもないままFAXで注文を入れる。一方、仲卸業者では、届いたFAXの内容を仕分け用の伝票に当たる「茶屋札」に新たに書き写し、さらに事務スタッフが仕入れと売りの記録を残すためにパソコンにも入力していく、といった具合だった。

「ここにeコマースの仕組みを導入すれば、鮮魚流通は大きく変わるはずだ、とは思いましたが、当時は、実現は難しいと判断せざるをえませんでした。というのも、2009年当時、お店にパソコンを置いている飲食店は多くありませんでしたし、PDA端末というものもありましたが、まだ通信コストが高い時代。eコマースの利用が広がるとは思えなかったのです」

しかし、それから1年後の2010年、松田氏は「自分で立ち上げた会社で、自分のやりたい仕事をしよう」と考え、物流企業を退職。かつて立ち上げて休眠させていた自らの会社を復活させると、以前知った鮮魚流通の非効率を解消するために、八面六臂のサービス開発に取り組んだ。

「eコマースを使って、鮮魚流通をシンプル化しようと考えたのは、私が最初だったわけではありません。これまでに多くの流通企業やIT系ベンチャーが同様の思想で挑戦し、失敗していたのです。そんな中で、八面六臂が一定の成果を残せたのは “タイミング”に恵まれたことが大きかったと思います」

そのタイミングとは、八面六臂がサービスを開始した時期が、スマホやタブレットの普及期と重なったことだ。松田氏が八面六臂のサービス開発をスタートさせた2010年、アップルはiPhone 4を大ヒットさせ、初代iPadも発売。このIT領域で起きた劇的変化が、大きな追い風となった。

「直感的に操作できるスマホやタブレットは、これまでパソコンを操作することに苦手意識を持っていた料理人の方でも、簡単に使いこなすことができます。それに、パソコンよりも安価に購入でき、店舗内に置いてもスペースを取らず邪魔になりません。つまり、これまでITを取り入れることが難しかった飲食店の現場でも、手軽にeコマースを行える時代になったのです」

そして2011年、八面六臂は鮮魚仕入れのプラットフォームとなるアプリを用意するとともに、iPadを飲食店に無料で配布開始。営業活動も展開したが、なかなかうまくいかなかった。

「当初は現在のビジネスモデルと異なり、鮮魚や水産物の販売業者に食材を出品してもらい、それを飲食店が購入する仕組みを考えていました。つまり八面六臂ではeコマースのプラットフォームだけを提供するモデルです。しかし、販売業者ではすでに一定数の固定客を抱えており、わざわざ新たに時間と手間をかけてeコマースに出品しようと思ってくれません。そこで試しに、自分で鮮魚を仕入れてアプリ上で販売してみたところ、意外に簡単に、飲食店からの注文が増えていったのです」

この軌道修正がぴたりとはまり、八面六臂は一気に成長していくことになるが、事業が安定するまでには、まだいくつもの障害を乗り越えなければならなかった。

深夜2時就寝。4時に起床。2年間続いた1人での戦い

まず1つめが、過酷な業務を1人ですべてこなすことだった。

当時の八面六臂の社員は、松田氏ただ1人。毎朝4時に起床し、5時からは築地市場で鮮魚の仕入れと配送手配に従事。昼からは事務作業をこなし、スーツに着替えると1都3県各地の飲食店への営業活動に奔走。夕方にオフィスに戻ると、漁業者や各市場から届いた鮮魚の仕入れ情報のアップ作業とシステム開発を行い、21時からは注文の電話への応対。深夜2時に就寝すると、朝4時にまた起床して家を出る……この業務サイクルを、松田氏は約2年間続けた。

「魚の目利きや、魚をよりよい状態で配送するための温度管理といった知識も、すべて日々の業務の中で覚えていくしかありませんでした。だから、最初の2年間は相当きつい思いをしましたが、私にとっては2度目の起業。もう後はないという気持ちで、なんとか軌道に乗せようと必死でした。だから、飲食店からの細かな注文にもすべて応えられるよう、あらゆる努力をしました。例えば、関東ではほとんど流通しない鹿児島産のオオクチイシチビキといった希少な食材を小規模なお店でも仕入れられるよう、各地の漁港を訪れ、取り引きのルート開拓に奔走したりもしました。もちろん手間はかかりますが、お客様のためにできることはすべてやる。そこだけは譲らずに死守してきたつもりです」

画像: 深夜2時就寝。4時に起床。2年間続いた1人での戦い

また、こだわりの店として人気を誇る銀座の鮨店では、門前払いになりながらも食い下がり、店主や板前から一流のプロが求める魚とはどのようなものかを教わり、温度管理や配送の方法などで改善できる点はないかを、しらみつぶしにしていったという。

「ITは素晴らしい効果をもたらします。けれども、あくまでもツールにすぎません。そこに正しい商品知識や商売のノウハウがシンクロして、人の知恵や心が加わらなければ、大きな効果は生まれません。飲食店の料理人たちは、毎日が真剣勝負です。一度まずい料理を出してしまったら、そのお客様は2度とお店に来てくれない。そんな緊張感を持って仕事に向き合う料理人たちに、八面六臂のサービスを信頼して使ってもらうには、こちらにもそれだけの覚悟が必要だったということです」

青果、精肉、酒類の販売もスタート

こうして八面六臂は、漁業者や産地市場、中央卸売市場のそれぞれから魚を購入し、それを飲食店に届けるという現在のビジネスモデルを確立。従来の流通プロセスにあった非効率性や無駄なコストを削減しつつ、安くて美味しい魚を、細かな要望に応じながらスピーディーに届ける仕組みを成立させた。

画像: 八面六臂で仕入れることができる鮮魚の例

八面六臂で仕入れることができる鮮魚の例

「それでも難しいのは、この仕組みを作ったからといって、すぐにビジネスがうまく回り始めるわけではないこと。既存のお客様に満足いただける鮮魚提供を続けながら、一方では新規のお客様を増やすための営業を根気よく続ける。そうやって少しずつ八面六臂ユーザーを増やしていくことで、扱う鮮魚の量も増え、生産者や市場との信頼関係も生まれます。そうすれば、価格や魚の質といった面で、より多くの付加価値をお客様に還元できるのですが、この“プラスのスパイラル”を描けるようになるまでに、近道はありません。それが、このビジネスの大変なところですね」

懸命な努力が実り、八面六臂のサービスを利用する店舗は2015年に1,700軒を達成。会社も、松田氏がほぼ1人ですべての業務を切り盛りしていた状況から変わり、数十人という社員が働く企業へと成長していった。

そこで同社では、鮮魚以外にも青果、精肉、酒類の取り扱いをスタート。さらなるビジネス拡大を進めていくのだが、その水面下では、新たな問題も発生していた。


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