今、世界で注目を集めている経営戦略と言えば、CSV(Creating Shared Value)だろう。ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーター教授らが2011年に提唱した、社会的価値と経済的価値の両方を追求するという新たな経営のアプローチだ。しかし、それを実践できるのは一部のグローバル企業だけではないか―そんな疑問を持つ経営者は、少なくないはずだ。2015年に『CSV経営戦略』を著した名和高司氏は、CSVの新たな解釈を示すとともに、これまで発揮されてこなかった日本企業の可能性に着目し、今こそ日本版のCSV「J-CSV」を立ち上げる時だと力説する。J-CSVとは、どんな経営戦略なのか。同氏が教鞭を執る一橋大学千代田キャンパスにて、話を聞いた。

名和高司(なわたかし)
一橋大学大学院国際企業戦略研究科 特任教授
1957年生まれ。1980年に東京大学法学部を卒業後、三菱商事株式会社に入社。1990年、ハーバード・ビジネススクールにてMBAを取得。1991年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに移り、19年間アジアや日本企業の経営コンサルティングに従事。2010年、一橋大学教授に就任。2014年より「CSVフォーラム」を主催している。著書に、『成長企業の法則』(Discover 21,2016年)、『CSV経営戦略』(東洋経済新報社,2015年)、『「失われた20年の勝ち組企業」100社の成功法則』(PHP研究所,2013年)、『学習優位の経営』(ダイヤモンド社,2010年)など。CSVの提唱者であるマイケル・ポーター氏は、ハーバード・ビジネススクール時代の恩師である。

「もうける」は目的か、手段か

――最初にお聞きしたいのですが、名和先生がお考えのCSVは、ポーター教授が提唱しているCSVとは違うのでしょうか。

名和
大きく4つ、異なる点があります。まず1つめが、経営戦略としての目的の違いです。ポーター教授はあくまでも「利益をしっかりと生むことがCSVの目的だ」と明確に定義しています。つまり、CSVは企業がもうかるための経営モデルであって、社会課題の解決はその手段。社会課題に取り組んでいても、もうかっていないのであれば、CSVではなくCSRだと主張しています。

それに対してわたしが考えるCSVは、もちろん利益を生むことは不可欠ですが、それは手段であって、戦略の中心にあるのは「世の中を良くする」という志です。言い換えると、しっかりと利益を生むことによって、サービスや製品をさらに良くしたり、より多くのお客さまに届けたりできる。利益を生んで再投資していかないと、企業は継続して成長できませんからね。

――ポーター教授のCSVとは、目的と手段がまるっきり逆ですね。

名和
ポーター教授のCSVは、欧米的な資本主義の延長線上にある考え方です。リーマンショックで資本主義そのものが疑われるようになって、その延命策として考え出されたとも言えます。彼は、「ROE(Return On Equity:自己資本利益率)が15%以上出ていなければCSV企業とは言えない」としています。これはかなり高い数値で、実現できる企業はかなり限られてしまいます。

日本の経営者がポーター教授のCSVに違和感を覚えるのは、おそらくそこだと思います。なぜなら多くの経営者は、利益を生むことだけがビジネスのすべてだとは考えていません。むしろ、先ほど述べたように、社会課題を解決するための手段として利益を生むという考え方のほうが、日本の経営者にとってはしっくり来るのではないでしょうか。

だからといって、わたしはCSVを否定しているわけではありません。CSVが持つ良いエッセンスを日本的にとらえ直して経営モデルを磨き上げていけば、経済的価値を追求してきたこれまでの資本主義に代わる、新しい資本主義が生まれる可能性があると考えています。

何が社会課題なのか

名和
そもそもCSVが対象とする社会課題の定義とは何でしょうか。実はこれが、ポーター教授の主張との2つめの違いです。ポーター教授は、マズローの欲求五段階説の最下層にある「生理的欲求」に関する課題こそが社会課題だと定義しています。要するに、生きるか死ぬかの問題、貧困や衛生に関する議論です。その考えで行くと、BOP(Bottom Of the Pyramid)を対象としたビジネスがCSVということになります。もちろんそれは大事な取り組みですけど、先進国には馴染みのない分野だと言えます。とりわけ日本は、他の国に比べて所得層の均質化が進んでいる国ですから。

画像: 何が社会課題なのか

わたしが考えるCSVで取り組むべき社会課題というのは、もっと高度な欲求に関するものです。例えば、幸福。日立の矢野和男さんが人間の幸福度「ハピネス」を定量化するという研究をされていますが、幸福って今とても希少資源になっていると思うんです。ほとんどの人は物理的には満足して生活しているけれども、心は満ち足りていない。そういった、社会の深層の部分の病だとか欲求にこそ、問題が隠れている。それを解決するために真の幸福を追求するほうが、社会にとって重要ですよね。

幸福度のように、一見定量化できないようなものの質を高めていくことこそ、ポーター教授が日本企業に残したチャンスだとわたしは考えています。『CSV経営戦略』の中でも書いていますが、何かの質を高める「QoX」(Quality of X)経営を、日本企業は極めていくべきだと思います。

短期的志向か、長期的志向か

名和
3つめの違いは、時間軸に関する考え方です。ポーター教授は、「CSVでは短期的にも利益を生まなければならない」と主張しています。今、日本の企業の中で、ROE8%以上*という数値目標が議論になっています。長い目で見た場合の目標ならともかく、株主から「今年ROEを出しなさい」って言われてしまうと、企業はすぐに利益を出さなくてはいけなくなる。それに対して、わたしの考えるCSVは長期的志向です。「10年20年かかってでも大きな利益を生む」という発想です。

例えば、東レ株式会社は炭素繊維事業を50年かけて黒字化しました。つまり50年間赤字に耐えてきたわけで、短期的志向の資本主義だったら到底できないことです。アメリカの大手化学メーカーは、東レをすごくうらやましがっていますよ。向こうでは、すぐに利益を出せない事業を継続しようとしても、株主が許しませんからね。開発にとても長い期間がかかる医薬品業界でも、同じ理由から上場企業は長期的な投資に踏み切れない。だからアメリカでは、そんな大企業をしり目にベンチャー企業がどんどん新しい医薬品を開発しています。

資本家の志向はアメリカと日欧とで違いがあって、「すぐに利益を生んでくれ」というのがアメリカの多くの資本家。一方で、マネーゲームではなく、長い間株を保有している中で確実なリターンを得たいというのが、日本やヨーロッパの資本家です。

*2014年8月、経済産業省の「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクトチームが、日本企業が目標とすべき経営指標として「8%を上回るROEを最低ラインとし、より高い水準をめざすべき」と発表した。

トップダウンか、ボトムアップか

名和
最後の4つめは、トップダウンか、ボトムアップかの違いです。ポーター教授の基本姿勢は「組織や人は戦略に従属する」、つまりトップダウン。しかし、わたしが考えるCSVの本質は、戦略的に何かを発信する経営モデルというよりも、社員一人ひとりが企業の志を自分事としてとらえてやり遂げる、実践の哲学。つまり、現場主義です。

CSVを標榜している経営者は欧米に多いですが、現場レベルで実践できているのはネスレをはじめとした数社だけではないでしょうか。むしろ日本のほうがそういった企業が多く、例えばヤマト運輸株式会社や株式会社良品計画では、社員全員がCSVの志を実践しています。ほとんどの経営者は、こういった取り組みを自ら発信しない傾向にありますが、現場レベルではかなりCSVに近いことをやっています。現場力が強い日本の企業は、実はCSVに向いていると言えます。

画像: トップダウンか、ボトムアップか

日本版の経営戦略「J-CSV」

――ポーター教授のCSVと名和先生が考えられるCSVとの4つの違いを挙げていただきました。それでは、名和先生が著書『CSV経営戦略』で提案されているJ-CSVとは、一言でいうとどんな戦略なのでしょうか。

名和
最初に申し上げた、「世の中を良くする」という志を持った経営戦略ですね。それがJ-CSVの50%を占めると思います。志とは、実はほとんどの日本企業が創業当初から持っているもので、事業が大きな危機に見舞われた時には必ずそこに立ち返ってきたはずです。しかし、いつしか日々の仕事の中で短期的な目標に追われてしまっているのが現実でしょう。自分たちは社会に対してどんな価値を提供できる存在なのかを、それぞれの企業が磨き直す必要があると思います。

わたしが経営戦略のお手伝いをしている企業には、必ずその議論をしていただいています。「何のためにこの会社はあるのか。会社が存在し続けている理由は何か。自分たちは何をしたいのか」。今までそういった議論をしてこなかった企業がほとんどです。でも、必ずどの企業にも原点となる志があります。

――残り50%のCSVの要素は何なのでしょうか。

先ほど述べた志はJ-CSVの必要条件であって、十分条件はやはり「もうける」ことです。志が高いだけでは、事業を継続させることはできません。実際の事業モデルやコアコンピタンスに、志を反映させることが不可欠です。そうやってできたものを、わたしは企業のDNAと呼んでいます。つまり、自社ならではの本質的な強みです。

例えば、日立製作所の創業者である小平浪平翁は、国産技術で日本の発展を支えるという大きな志を持っていました。その精神が事業に反映され、高品質・高信頼なモノづくりという日立のDNAとして脈々と受け継がれています。例えば「落穂拾い*」という、失敗の原因究明から本質をつかむ姿勢ですね。ハードウェア生産からITによるサービス提供という業態へと舵を切った今でも、その本質的な強みは変わっていません。企業のDNAとはそういうものであり、CSVには不可欠な要素なのです。

*落穂拾いとは、フランスの画家ミレーの代表作に描かれているように、欧米の麦畑などにおいて収穫後に残った稲穂を拾い集める行為。この様から、日立では「事故の原因を残さずすべて拾い上げ、根本的な原因を追及し、それをもって根本から徹底した対策を講じること」を指す。

日本の経営者の誤解

――日本には江戸時代から「売り手良し・買い手良し・世間良し」を謳った「三方良し」という商売の精神があります。J-CSVは、「三方良し」とはどう違うのでしょうか。

名和
「三方良し」の中には、株主が登場しないですよね。ポーター教授に言わせると、それでは資本主義とは呼べないのです。やはり、利益を生むという視点が必要です。また、善い行いをしても自分から表立って言わないのが美徳だという「陰徳善事」の姿勢が三方良しにはあり、それがかえって日本企業の自己満足に見えてしまうのかもしれません。あくまで精神としてはとてもよいと思いますが、世界に共感してもらうためには工夫が必要です。

日本で経営者の方々を前にして「J-CSVのコアは志だ」という話をすると、皆さん胸を張って「うちの会社は昔からJ-CSVをやってますよ」っておっしゃるんです。しかしそれは誤解です。日本の経営者は、もうけるということへの執着が足りないとわたしは思います。社会を良くする事業をやっているのであれば、その取り組みを世界に発信して事業を拡げ、さらに利益を出していくべきです。

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