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イノベーションにおいて対話は大きな役割を果たす。人と人との関係を刺激することで、新しい文化の開発を促進することができる。社内の仲間だけでなく、社外のパートナーとの対話も重要だ。本稿では、ある自動車メーカーのヒット商品開発秘話などを紹介しつつ、問題の発明、文化の開発に向けたアプローチを考えてみたい。

第1回 問題を発明し、ソリューションを売る >

専門性の深掘りだけでは限界がある

前回、水泳帽やカレーなどの例を挙げて、問題の発明、文化の開発の重要性を説明した。様々な産業や商品が新しく生まれたとき、それを創造した企業はまっさらなエリアでニーズ、言い換えれば、買ってくれる人をつくらなくてはならない。経済の成長期にはそんなエリアが多数出現するが、今のような低成長時代には既存事業を守ることが優先されがちだ。

既存事業が大きくなるほど、ものづくりには専門性が求められるようになる。三宅氏はこんな例を挙げる。

「ある製造業の研究所で勉強会に参加したことがあります。ある30代のエンジニアは学部と大学院の時代からずっと、2次電池の電解液を研究してきたそうです。つまり、10年以上電解液の研究だけ。そのビジネスが伸びている間は、それでいいもいいと思います。むしろ、今は深掘りをすべき時期なのかもしれません。ただ、外部環境の大きな変化があったときに、こうした研究開発のやり方では行き詰まってしまう可能性があります」。

そんなときに備えて問題の発明、文化の開発を普段から意識すべきと三宅氏は言う。

「ときには、『何のために研究しているのか』『まったく違う用途はないのか』といった議論をゼロベースで行うことが重要。そうすると、自分の研究とはまったく違う誰かの研究との接点が見えたり、新しい組み合わせのアイデアが生まれたりすることもあります」。

そのアイデアの中から、文化の開発につながる芽が見つかるかもしれない。そのためには、他の研究分野との関連性、社会的な意味などを理解する能力が必要だ。そんな能力を持つ人材が、いわゆる「T字型人材」である。専門性という縦軸だけでなく、他の分野に目配りできる横軸を持つエンジニアやコーディネーターのような人物である。

「縦軸の長さは、既存事業の競争力に直結する場合が多い。したがって、『横軸を広げた分、縦軸が短くなったらどうする』という議論は当然起こるでしょう。T字型人材の育成は簡単ではありません。もちろん、T字型人材は多いに越したことはありませんが、何十人かの中に1人くらいは横軸に特化した人材がいてもいい。そんな人材は専門領域ではあまり評価されませんが、組織全体にとっては有益です。そんな人材に好きなように動いてもらうには、組織にもある程度の余裕がなければなりません」。

仮説やアイデアをぶつけ合う「場」の重要性

人と人との関係を刺激することで、新しい文化の開発を促進することができる。その刺激を生み出すためには、空間的な工夫も重要と三宅氏は考えている。

「東京大学の藤本隆宏先生がセンター長として率いていたものづくり経営研究センターが、本郷のビルのワンフロアに入居して、自前のレイアウトで活動していました。中に入ると広いたまり場のようなスペースがあって、その中央に冷蔵庫やコーヒーのコーナーがある。そのたまり場を取り囲むようにして、研究者のブースがあります。研究者が出入りするときには、必ずたまり場を通らなければなりません。そういう空間の中で自然に雑談や議論が生まれ、仲間同士がアイデアや仮説をぶつけ合います。私自身も、多くの示唆や有用な情報をもらったものです」。

研究フロアには、あるルールがあったという。研究者はブースの扉を開けておかなければならないというルールだ。たまり場でちょっとした議論があったり、別の研究者が聞きたいことがあったりした場合には、気軽に声を掛けられるようにとの配慮である。ブース内は縦軸、たまり場は横軸という言い方もできるかもしれない。

こうした「場」づくり、あるいは研究者同士のネットワークがイノベーションの土壌になる。フェイス・ツー・フェイスには及ばないものの、三宅氏はITにも期待している。

画像: 仮説やアイデアをぶつけ合う「場」の重要性

「社内にインフォーマルなネットワークがあれば、技術と技術、あるいは技術とニーズが出合うチャンスが増えます。まず信頼と親愛の関係をつくるリアルの世界のネットワークも重要ですが、その次からは社内SNSなどがあれば遠隔地の仲間ともやり取りすることができる。趣味の集まりだったとしても、『こいつは信用できる』となれば、スムーズに仕事の話もできるでしょう。社内SNSをはじめとするITのコミュニケーション環境は非常に重要だと思います」。

三宅氏はビジネスのコミュニケーション回路が金属のパイプだとすれば、趣味や同期会のような非ビジネスの回路はそれを覆うテントのようなものだという。金属のパイプは不可欠だが、時間がたつとさびて使えなくなるかもしれない。テントで覆えば、より強靭なコミュニケーションの基盤ができる。

社内外の仲間、消費者との対話が重要

以上で見たように、イノベーションにおいて対話は大きな役割を果たす。社内の仲間だけでなく、社外のパートナーとの対話も重要だ。

「かつては自前主義だった大企業も、今では社外とのコラボレーションを意識するようになりました。例えば、私の知り合いが参加している企業間フューチャーセンターという一般社団法人があります。企業の枠を超えてつながり、新しい価値を生み出そうという試みです。フューチャーセンターといったカタカナの言葉は使いませんが、実は、下町の町工場のオヤジさんたちは昔からやってきたことでもあります」と三宅氏は言う。
もう1つ、忘れてはならないのがマーケットや消費者との対話である。三宅氏が例に挙げたのは、ヒット商品となったクルマの話である。

「ある自動車メーカーの開発者に聞いた話です。そのメーカーが経営危機に陥ったとき、多くの技術者がディーラーに派遣されました。クルマを買ったもののローンの支払いを渋る人のお宅に行って、売掛金の回収をしなければならないこともあったそうです。これまで研究所や工場で働いてきた技術者にとっては別世界ですが、顧客の声を聞いて得るものも多かった。それが、新しいコンセプトのクルマの開発につながったそうです」。
おそらく、技術者にとってディーラーでの日々はストレスの多いものだったに違いない。専門領域を深掘りすることも重要だが、そこに消費者の懐に飛び込むような経験が加わることで、ある種の化学反応が生まれたのだろう。

経営危機のようなイレギュラーな事態が起きなければ、技術者と消費者の距離が縮まることもなく、ヒットしたそのクルマが生まれることもなかったに違いない。一般に、企業の規模が大きくなると、両者の距離は遠く離れてしまいがちだ。三宅氏は、別の自動車メーカーでこんな話を聞いたことがあるという。

画像: 社内外の仲間、消費者との対話が重要

「長く企画部門で活躍した方は、『オレたちのころは足で稼いだものだが、今の若手は仕事が終わってからも近所の居酒屋で仲間としゃべっている』と嘆いていました。かつては、ときには海外にも足を運んで、クルマがどう使われているかを観察していたそうです」。

自動車だけでなく、様々な製造業で同じようなことが起きているに違いない。海外の事情を知りたければ、各地の拠点が作成したリポートに、ある程度のことは書かれている。消費者と企画者・研究者の間には様々な部門が存在し、それぞれが役割を果たしている。
だからこそ、ものづくりの上流に位置する人たちには、意識的に生活者に近づく努力が求められる。B2B企業の場合はなおさらである。

前回、三宅氏が「率先してPTA役員を引き受けるとか」と語ったのは、そういうことだ。そんな意識を全社に植え付けるのは簡単ではないが、小さな部門単位、あるいは個人の単位であれば明日からでもできる。問題を発明する能力を磨くための第一歩は、生活者の感覚を理解するための小さな実行だ。

画像: 三宅秀道(みやけ・ひでみち) 専修大学経営学部准教授。1973年生まれ。神戸育ち。1996年早稲田大学商学部卒業。都市文化研究所、東京都品川区産業振興課などを経て、2007年早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得退学。 東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター特任研究員、東海大学政治経済学部専任講師を経て、2014年より現職。専門は、製品開発論、中小・ベンチャー企業論。これまでに大小1000社近くの事業組織を取材・研究。現在、企業・自治体・NPOとも共同で製品開発の調査、コンサルティングにも従事している。

三宅秀道(みやけ・ひでみち)
専修大学経営学部准教授。1973年生まれ。神戸育ち。1996年早稲田大学商学部卒業。都市文化研究所、東京都品川区産業振興課などを経て、2007年早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得退学。 東京大学大学院経済学研究科ものづくり経営研究センター特任研究員、東海大学政治経済学部専任講師を経て、2014年より現職。専門は、製品開発論、中小・ベンチャー企業論。これまでに大小1000社近くの事業組織を取材・研究。現在、企業・自治体・NPOとも共同で製品開発の調査、コンサルティングにも従事している。

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