画像: 松岡 正剛氏 株式会社 編集工学研究所 所長、イシス編集学校 校長 1944年京都生まれ。オブジェマガジン「遊」編集長、東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などを経て、現在、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。 2000年にインターネット上で連載をスタートした壮大なブックナビゲーションサイト「千夜千冊」は、2013年3月に1500夜を突破。同じく2000年に、ネット上に開校した情報編集術の学校「イシス編集学校」は、2013年には受講者3万人を超え、1000人以上の指導者を輩出している。 編集的世界観に基づく書物空間「図書街」や、本を媒介に知の相互編集を可能とする「目次録」構想などを推進。 丸善・丸の内本店内に、実験的書店「松丸本舗」をプロデュースし話題となった。現在、帝京大学メディアライブラリーセンターで「共読ライブラリー」プロジェクトを展開する。 日本文化研究の第一人者としては、「日本という方法」を提唱。 2005年から企業の次世代リーダー育成塾「ハイパーコーポレートユニバーシティ[AIDA]」を開講するなど、さまざまなプログラムで「方法の国・日本」を伝承する。「クール・ジャパン官民有識者会議」座長代理、平城遷都1300年祭「日本と東アジアの未来を考える委員会」幹事長なども歴任。 2012年12月に世田谷区赤堤へ事務所を移転。万巻の書物に囲まれた1階のブックサロンスペース「本楼(ほんろう)」と、本の茶室空間である「井寸房(せいすんぼう)」を拠点として、編集工学や「日本という方法」を伝える場づくりをさまざまに構想中。 著書は、『自然学曼陀羅』(工作舎)、『空海の夢』(春秋社)、『情報の歴史』(NTT出版)、『フラジャイル』(ちくま学芸文庫)、『遊学』(中公文庫)、『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社)、『誰も知らない世界と日本のまちがい』(春秋社)など多数。最新刊は『にほんとニッポン』(工作舎)。

松岡 正剛氏 
株式会社 編集工学研究所 所長、イシス編集学校 校長
1944年京都生まれ。オブジェマガジン「遊」編集長、東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などを経て、現在、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。
2000年にインターネット上で連載をスタートした壮大なブックナビゲーションサイト「千夜千冊」は、2013年3月に1500夜を突破。同じく2000年に、ネット上に開校した情報編集術の学校「イシス編集学校」は、2013年には受講者3万人を超え、1000人以上の指導者を輩出している。 編集的世界観に基づく書物空間「図書街」や、本を媒介に知の相互編集を可能とする「目次録」構想などを推進。
丸善・丸の内本店内に、実験的書店「松丸本舗」をプロデュースし話題となった。現在、帝京大学メディアライブラリーセンターで「共読ライブラリー」プロジェクトを展開する。 日本文化研究の第一人者としては、「日本という方法」を提唱。
2005年から企業の次世代リーダー育成塾「ハイパーコーポレートユニバーシティ[AIDA]」を開講するなど、さまざまなプログラムで「方法の国・日本」を伝承する。「クール・ジャパン官民有識者会議」座長代理、平城遷都1300年祭「日本と東アジアの未来を考える委員会」幹事長なども歴任。 2012年12月に世田谷区赤堤へ事務所を移転。万巻の書物に囲まれた1階のブックサロンスペース「本楼(ほんろう)」と、本の茶室空間である「井寸房(せいすんぼう)」を拠点として、編集工学や「日本という方法」を伝える場づくりをさまざまに構想中。
著書は、『自然学曼陀羅』(工作舎)、『空海の夢』(春秋社)、『情報の歴史』(NTT出版)、『フラジャイル』(ちくま学芸文庫)、『遊学』(中公文庫)、『17歳のための世界と日本の見方』(春秋社)、『誰も知らない世界と日本のまちがい』(春秋社)など多数。最新刊は『にほんとニッポン』(工作舎)。


イノベーションの背後にあるもの

昨今、イノベーションという言葉がこれほどまでにもてはやされる背景には、未だ社会全体として「創造的破壊」をなしえていないという現状があるのでしょう。イノベーションを希求しつつも変革を起こせずにいるジレンマから、この言葉に頼らざるをえない、のだろうと思われます。私は、実際にイノベーションを起こすためには、これまでの人類史でいかにして創発や相転移、パラダイム転換が起きてきたのか、また、いかにして自己否定やアンラーニング(unlearning=いったん学んだ知識や既存の価値観を批判的思考によってあえて棄て、学び直すこと)が実践されてきたのかを、もう少し仔細に見ていく必要があると思っています。

画像: イノベーションの背後にあるもの

一方で、この20年を振り返ってみると、技術的イノベーションによって、我々の生活環境は激変しました。たとえば、印刷技術による紙の本しかなかった時代には、著者〈author〉は版元の後ろ盾のもと、文化をつかさどる権威〈authority〉たり得た。しかし現代では、読者がスマートフォンを使ってオーサリング〈authoring〉をしている。いまや筆者の権威が失われ、文化の行方を委ねられているのは多数の読者の側です。しかもそれが、大量に各人で少しずつ行われることにより、権威は統計による平均値――例えば、ECサイトのレコメンデーションのように――でしか表出されなくなった。このように技術的イノベーションにより、文化の社会構造そのものがひっくり返ってしまったわけですから、今一度、我々は自己像そのものを問い直さなければならないと思うのです。

また、このような社会が築かれてきた背景についても思いを馳せる必要があります。20世紀後半の現代思想では、フロイトに由来し、ジャック・ラカンやジョルジュ・バタイユなどの論考を経て、フランソワ・リオタールが「リビドー経済」という画期的な概念を提唱しました。しかし、今日の我々にとってみれば、それは目の前に広がる当たり前の現実にすぎません。また、我々の思考やハビトゥス〈態度、習慣、性向〉は、さまざまな機械〈マシーンと情報〉と深く一体化しています。ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、『アンチ・オイディプス』の中で、それを「機械状」と表現しました。このこと自体はイノベーションというより、むしろ資本主義経済下で築かれた現代文明の病理と言うべきものですが、イノベーションが希求される背後には、そのような根源的な問題が横たわっていることを忘れてはいけません。

さらには、一口にイノベーションと言っても、各国の民族、言語、宗教、生活慣習など、地域性・風土性に左右され、時としてそれらが大きな原動力になることも重要な視点です。儒教的イノベーションとイスラム的イノベーションとでは違うし、資源を豊富に持つ国と、そうでない加工型の国のイノベーションとではまた違う。それらを踏まえた上で、今こそイノベーションを体系化し、仔細に総覧していく必要があると考えています。

全てがイノベーションの対象となる

そもそも、イノベーションをかつてのように技術革新といった狭い括りの中で捉えるべきではありません。「知」「技」「心」、これらはすべてイノベーションの対象たりえます。それによって、組織、産業、社会、国家、世界、地域といったものが築かれるからです。イノベーション理論を確立したヨーゼフ・シュンペーターも、当時盛んに議論された進化論等の影響を受けて、社会全体のリ・デザインやリ・フレーミングを目指していました。シュンペーターの言うイノベーションの中に、すでに「社会イノベーション」の源泉があったのです。

ところで、今日のネット社会では、「意味」と「市場」の関係性が変容しつつあります。ドイツ語の「意味」(Sinn)はもともと「旅する」「進路をとる」という古語で、「意味」には「新たな方向を示す」という要素が含まれています。しかしながら、現代社会における市場では、「意味」が売上や自己資本率といったものに置き換えられ、定量化されることにより、その本来的な価値を喪失してきました。それが、現代社会の病理を招いてきたとも言える。しかしネット社会では、「意味」が、その都度、統計的ダイナミズムによって問い直され、浮上します。それを単に、ビッグデータの活用による圧倒的な検索力や、統計によるレコメンデーションに置き換えてしまってよいものかどうか――。今まさに、「意味」が問われているのです。

「非経済的価値」に着目すべきとき

画像: 「非経済的価値」に着目すべきとき

社会イノベーションについて思考する際に整理しておきたいのは、CSRやソーシャルキャピタルといった社会関係性資本も、金融資産のように蓄積・交換・代替できるのかということです。かつてピーター・ドラッカーが指摘したように、資本主義システムの中で、知識の力は「ナレッジキャピタル」(知的資産)として機能し、いまでは多くのIT企業がデジタル化し、蓄積・運用して、新たな経済的価値を創出しています。

しかし、今日の資本主義システムはすでにその先にある資本をめぐって競い合っています。たとえば、「エロティックキャピタル」と呼ばれる、女性が磨いてきたセクシャリティだって社会資本です。化粧、コスプレ、偽装、整形といった人間の「欲望」を体現するディスプレイ、あるいはスポーツ選手やハリウッドスターが備える魅力などもまた、新たなイノベーションの対象に違いありません。その根底には、カール・ポランニー(弟は「暗黙知」で有名なマイケル・ポランニー)の「経済人類学」(ポランニーは非市場社会では「経済が社会に埋込まれている」とし、現代社会のように社会関係性が経済システムの中に埋め込まれている状態を批判した)や、さらにはマルセス・モースの『贈与論』(古代社会や未開社会では道徳と経済が重なっていたと唱え、互酬的な贈与の経済について言及した)などの思想があります。そこにこそ、ソーシャルコミュニケーションの本質が関与しています。

いずれにせよ、イノベーションそのものよりも、イノベーションによってもたらされる、社会・生活・文化の変化に目を向けるべきでしょう。そういったものもすべて含めて、社会イノベーションについて議論をしていくべきときなのではないでしょうか。

社会イノベーションに求められる編集力

そうしたなかで、今、我々に求められるのはイノベーションにおける「編集力」です。たとえば、我々が記憶を呼び覚ますために、「昨日の朝、何を食べただろう?」「誰と会話をしただろう?」と問いを立てて再生するように、そもそも人間は編集的な存在です。故に、文字ができ、言語ができ、物語が生まれ、芝居や音楽が生まれ、さらには都市が築かれ、工業製品までもが生み出されてきた。つまり、イノベーションの背後には、さまざまな編集力が潜んでいるのです。

社会イノベーションにおいても、個人と他者、それらを関係づけることができる編集力こそがカギを握っていると言っていいでしょう。既存のものを別のものと結びつけ、新たな価値を生み出すリプロダクションやリロケーション、リストラクチャリング、いずれにおいても編集力が欠かせません。そうしたことから、感度の鋭い経営者やリーダーはすでに、「編集力」に着目し始めています。

しかし未だに、編集力自体を取り上げた工学は存在しません。私は1980年代から「編集工学」を提唱し、編集力の重要性を説き続けてきました。ぜひ、今回のHitachi Innovation Forumにおいても、なぜいま、イノベーションにおいて編集力が求められるのか、その重要性について語り合いたいと思います。


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