産着、食器、玩具――。0~6歳までの乳幼児向けのオリジナルグッズを、日本各地に伝わる伝統産業とのコラボレーションによって生み出しているブランド「aeru」。 aeruブランドを生み出した、株式会社和える代表を務める矢島里佳氏は、学生時代から伝統産業品に魅せられ、大学在学中に起業。古き良きものと、新しい時代の要求を“和える”ことで、今までになかった新しい価値を提供している。

矢島里佳 -Rika Yajima-
1988年生まれ。大学在学中の2009年、伝統産業の本質である「時代を超えた価値」を若い次世代へと伝えるべく、週刊誌などで連載記事の執筆をスタート。2011年3月には「和える」を設立、2012年から伝統産業の技術を活かした幼児向け製品のオンライン販売をスタートさせる。独自の姿勢を持つ若き起業家としても注目を集め、世界経済フォーラム(ダボス会議)のグローバル・シェイパーにも選出されている。

すべての出発点は「伝える」喜びを知ったこと

画像: 本藍染の出産祝いセット(上)と、こぼしにくい器(下)は和えるを代表する人気商品となっている

本藍染の出産祝いセット(上)と、こぼしにくい器(下)は和えるを代表する人気商品となっている

メインユーザーは0歳から6歳の子どもたちとあって、東京・目黒にある「aeru meguro」に並べられた商品は可愛らしいサイズのものが多い。だが、そのどれもが、長い歴史に磨かれた先人の知恵と、それを受け継ぐ職人のこだわりから生まれた、まぎれもない伝統産業品である。

本場・徳島県の本藍染職人とのコラボレーションによって誕生した『徳島県から 本藍染の 出産祝いセット』も、その1つだ。江戸時代から続く“天然灰汁発酵建て(てんねんあくはっこうだて)”という技法を用いて染められた同商品は、職人が毎日管理を欠かさない本藍を用い、1つひとつ丁寧に染められたもの。完成までには約30回もの染め作業が繰り返される。

離乳食を食べる練習を始める赤ちゃんのために生まれた『こぼしにくい器』も同様だ。石川県の山中漆器、徳島県の大谷焼、愛媛県の砥部焼、青森県の津軽焼と、各地で伝統技術を継承する若き職人たちとの連携により完成した器の内側には、食べ物がスプーンにのりやすいように「返し」がつけられている。伝統技術を踏まえながらも、まだ食器をうまく扱えない子どものための工夫をプラスすることで、これまでにはない価値を持つ商品となっている。

これらの商品のプロデュースを手がけるのが、矢島里佳氏である。2011年、大学在学中に「株式会社和える」を設立すると、2012年に『0から6歳の伝統ブランドaeru』を立ち上げ、Webショップをオープン。先述した本藍染の出産祝いセットの販売をスタートする。2014年には初の直営店aeru meguroを開店させ、子ども連れのママやパパはもちろん、祖父・祖母、ママ・パパの友人など、様々な人々が足を運ぶようになっている。

「多くのお客様に恵まれ、また数々のメディアで紹介していただいたこともあり、和えるはモノ作りベンチャーとして認知していただけるようになりました。ただ、私としては、自分の想いを『伝える』方法を模索し、その結果として辿り着いた伝達方法の1つだと思っているんです」

「伝える」ことを矢島氏が初めて意識したのは、小学生の時だった。運動会で実況アナウンスを行うと、業務のために会場を見ることができずにいた教師から、感謝の言葉を投げかけられた。「矢島さん、ありがとう。矢島さんの実況アナウンスのおかげで、運動会の様子が目に浮かんで、一緒に楽しむことができました」と。

何かを伝えることで人に喜んでもらえる。その嬉しさを味わった矢島氏は考えた。「何かを伝える職業って、どんなものがあるんだろう」――。イメージしたのが新聞記者やニュースキャスターだった。

こうして少女は、ジャーナリストを夢見るようになるのである。

学生時代の福井旅行が人生の転機に

画像: 学生時代の福井旅行が人生の転機に

もう1つ、矢島氏のその後の人生を決定づける出会いが、高校時代に待っていた。なんとなく興味を抱き入部した茶華道部での日々。気がつけば不思議なほどに落ち着く感覚に浸っていたという。「なぜだろう?」という素朴な疑問が浮かんだ。

「答えは簡単でした。茶道や華道で使うお道具類や、和の空間を形成する様々なモノに、『落ち着き』をもたらしてくれるような魅力があったんです。考えてみれば、それらはすべて日本の伝統産業品。そこから、日本古来の技術によって生み出されるモノへの愛着が、私の中で急速に高まっていきました」と矢島氏は振り返る。

やがて大学受験の時を迎えると、「ジャーナリストの輩出率が高い」と聞いた慶應義塾大学の法学部政治学科に入学。「伝える」役割を担いたいという、子どもの頃からの想いが導いた進路だった。

一方、日本の伝統産業に対して抱いた愛着も強まるばかりだった。入学早々、東京都内で開かれた和紙のイベント会場へ足を運ぶと、「もうすぐ、福井県で“紙の神様”のお祭りがあるよ」と教えられる。1500年の歴史を持つ越前和紙が祀る神、「川上御前」の「神と紙のまつり」だった。

「どんなお祭りなのか、どうしても見てみたくなり福井まで行きました。素晴らしい和紙を生み出す地域の空気や人々に触れられたのは素晴らしい経験でしたが、収穫はそれだけではなかったんです。東京で生まれ、千葉の新興住宅地で育った私は、古式ゆかしいお祭りというものに参加したことがありませんでした。だから、町をあげて観光客を出迎え、気さくにもてなすお祭りの様子は、まさにカルチャーショックだったんです」

こんなエピソードもあった。あるお宅で、お酒や料理を観光客に振る舞うのを手伝っていると、にっこり笑いながらみんなにアイスを配ってくれるおじいさんが現れた。見知らぬ矢島氏にも、その男性はアイスを手渡してくれたという。「周りの人に聞いて分かったのですが、その人は越前和紙の製作で人間国宝となった、岩野市兵衛さんだったんです。『国宝』がアイスを配って練り歩く、その飾らない姿に驚きもし、感動もしたのを覚えています」

直接会い、触れないと分からないこともある

この経験が、矢島氏のジャーナリスト志向に大きな影響を与えることになる。

「実は当時、伝えるにしても、『何を』伝えればいいのか悩んでいたんです。でも、答えは私の身近なところにありました。『大好きな日本の伝統を伝えればいい』と気づいたら、俄然やる気がわいてきたんです」

矢島氏はさらに、「日本の伝統技術や、それを受け継ぎ、魅力的な物を生み出している人々」について伝えることに、大きな意義を見いだしてもいた。

「私のように、1980年代の後半以降に生まれた世代は“デジタルネイティブ”などと呼ばれています。物心ついた頃にはパソコンが身近にあり、インターネットで様々な情報に触れるのも当たり前でした。パソコンや携帯電話を通じて、日本はもちろん世界中で起きていることを知ることができる。これは、私たちより上の世代の方にとっては夢のようなことだったはずですし、そういう意味で、私たちは素晴らしく恵まれた世代だなと感じていました」

しかし、お祭りの経験を通じて、矢島氏は気づいた。ネットのおかげで「何でも知っている」つもりになっていたけれど、実際に現場に行ったり、直接人に会い、モノに触れてみないと分からないことがたくさんあるのだと。

「そこで私は、日本の伝統技術が継承される場所を実際に訪れ、それに携わる人々と話をしよう。完成したモノに触れてみることで初めて分かる、伝統産業の魅力を伝えていこう。そう決めたんです」

矢島氏、大学1年生の時のことだった。

伝えるそばから失われてゆく……味わった無力感

矢島氏の行動は早かった。全国で活躍する若き職人たちを取材し、伝統産業の魅力を伝えたい――。そんな想いを企画書にまとめ、売り込みをして回った結果、大手旅行会社に企画が採用され、季刊誌での連載を担当させてもらえることになる。以後3年間にわたって、日本各地の職人たちを取材して回った実績と記事が評判となり、続いて大手週刊誌でも、毎週1本の連載を、3カ月にわたって行う経験を得た。

「日本中の伝統産業の里を訪ねようとしたら、お金もかかりますし、普通の大学生ではとうてい実現できません。でも、この連載企画のおかげで、全国津々浦々の職人さんたちを訪ねることができました。取材させていただいたことは、しっかりと世の中に伝えよう。そうすることで、仕事の時間を、取材対応のために割いてくれた職人さんたちに少しでも恩返しできるのではと思いました」

ジャーナリストとして「伝える」役割を担う中で、自分なりの取材・執筆スタンスも固まっていった。それが「三方(さんぽう)よし」の精神だ。かつて近江商人が独自の商いの姿勢として貫いてきた「売り手よし、買い手よし、世間よし」を示す「三方よし」。これを自らのポリシーに、活動していくことを決めた。

「私自身が惚れ込めるかどうか、取材する相手が喜んでくれるかどうか、そして『伝える』ことで周辺の社会に良いことが起きるかどうか。この3つにこだわって、どこの何を伝えればいいかを、考えながら取材できるようになったんです」

しかし、一方では無力感も味わった。現地を訪れ、話を聞かせてもらい、書いて伝える……その間にも、多くの職人が廃業していく。この方法では間に合わないほど、日本の伝統産業は衰退の速度を増していたのだ。

「書いて伝える」から「モノを通して伝える」へ

画像: 「書いて伝える」から「モノを通して伝える」へ

矢島氏は考えた。「何を伝えるか(What)」は「日本の伝統」に決まった。今度はそれを「どう伝えるか(How)」「誰に伝えるか(Whom)」を考えなければならない。

「文章で間に合わないのなら、実際のモノを通して伝えるのが、一番早く伝わるのではないかと思ったのです。実物を目にして、手にして、使ってくれれば、絶対に伝統技術の魅力は伝わる。そういう確信が私の中にはありました」
では、その魅力をいったい誰に伝えるのが最も効果的なのか――。行き着いた答えは「赤ちゃん」だった。

「伝統産業の中には贅沢品と呼べるようなモノもありますし、趣味の範疇や、芸術の範疇のモノもあります。けれども全国を回って、あらためて実感したのは、その多くが生活用品だということです。つまり、伝統産業品の魅力を知っていただくには、日々の生活の中で、実際に使ってもらうこと、毎日毎日、できる限り長い間使い続けてもらうことが一番だと思ったんです」

その点、赤ちゃんならば、生まれた時に手にしたモノを、これから何年、何十年と使い続けていくチャンスがある。その間に、伝統産業品の使いやすさ、機能性を存分に発見してくれるはずだ。

「だから私は、これからは赤ちゃんや子どもたちが安心して使えて、なおかつそのモノの価値を楽しめるような製品を生み出し、多くの人に伝えていこうと決心しました」

矢島氏の「和える」が産声を上げようとしていた。


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