次世代のリーダー育成が喫緊の課題となっている、現在の日本企業。激化し続けるグローバル競争に生き残るためには、ビジネスのさまざまな場面において、強力なリーダーシップが必要とされる。しかし、真のリーダーは、一朝一夕につくられるものではない。それゆえ、多くの大企業が、資金を投じて多様な社員研修に努めるとともに、効果的な人材育成の手法を模索し続けている。
その日本で、これまでにない形の社員研修プログラム「留職」を生み出した若者がいる。特定非営利活動法人クロスフィールズを率いる小沼大地(こぬまだいち)氏、32歳。"留学"ならぬ、留職――それは、国内の大企業に勤める若手社員を、新興国のNPOに数カ月派遣し、たった一人で現地の課題解決に挑戦させ、仕事への情熱を覚醒させるという、まったく新しいタイプの人材育成方法だ。
小沼氏が、この留職プログラムを事業化するに至った軌跡。そこには、日本企業が現在抱えている課題と、これからのビジネスにとっての大きなヒントがある。

リーダーシップの原点は、1対39

小沼大地氏は、1982年、埼玉県所沢市生まれ。今でこそNPOの代表を務めているが、幼少時代の小沼氏は、決してリーダータイプではなかった。スポーツでも勉強でも、むしろ目立たない存在だったと言う。そんな小沼少年を変えたのは、小学校1年の、ある授業でのことだった。

「確か国語の授業だったんですが、ある文章を読んで、それをどう解釈したかという問いかけがありました。偶然当てられた僕の答えが、模範解答とは違っていたようで。面白がった先生が、僕の意見への賛成派と反対派にクラスを分けて、ディベートをさせたんです。最初は半々ぐらいに分かれて言い合っていたのが、だんだんと賛成派から人が離れて行って…いつの間にか僕一人になってしまって。最後は必死に涙をこらえながら、自分の意見をしぼり出しました。そこで先生からストップがかかりました」

その時、先生から発せられたのは、意外な言葉だった。

「"みんな、小沼君に拍手しましょう"と、言ってくれたんです」

この時の経験が、のちに社会に出てリーダーとなるための原点だったと小沼氏は
振り返る。

「あそこでもし先生が授業を止めてくれなくて、僕が泣き出してしまっていたら…今、起業なんかしていない。そう確信しています。授業のあと、"小沼、おまえかっこよかったじゃん"と褒めてくれた同級生もいて、そんな経験は初めてでした。以来、ひとと違うことをやっても恐れない、むしろ、そこに価値を感じてくれる人が周りにいるかもしれないと考えるようになりました」

クラスで目立たない存在から、一風変わったキャラクターへ。一皮むけた小沼少年は、その数年後に移り住んだ横浜で、さらなる変身を遂げることになる。

新たなアイデンティティを見出す

画像: 新たなアイデンティティを見出す

「転校先の小学校で、僕は急に"勉強ができる人"になってしまったんです。おそらく、前にいた学校の学力レベルが、転校先の学区よりも相対的に高かっただけだと思うんですが…。僕は有頂天になって、親にも勧められて中学受験をすることになるんです」

調子に乗って受けたと言う中学受験だが、結果は見事合格。そこで再び、小沼少年は劇的な変化に見舞われる。

「運よく、第一志望の私立校に合格できたはよかったんですが、実際に入ってみたら、今度はビリになってしまった。地元の小学校では勉強ができたので、それが自分のアイデンティティだと思っていたのが、壊されてしまった。勉強で認められるのは無理だなと思って、ならばスポーツで力を発揮しようと考えました」

自分の価値をスポーツに見出すため、小沼少年は運動部に入った。選んだのは、所沢時代からやっていた野球だ。"人と違う方向を向けるから"という理由で、ポジションはキャッチャー。大好きな野球に、のめり込んでいった。

いろいろな価値に触れたい

やがて高校に上がると、小沼少年は、将来について具体的に考え始める。きっかけは、一冊の本だった。

「社会学の本の中に書かれていた、文化装置論という考え方に出会って、衝撃を受けました」

文化装置論とは、アメリカの社会学者ミルズが提唱した概念。ミルズは、社会の仕組みや宗教、芸術、科学、マスメディアなど、人間の感受性に影響を与えるものを"文化装置"と名づけた。人間は、その"文化装置"を通して直面する同じ世界を、それぞれがまったく異なるように解釈するという考え方だ。

「世の中にはいろいろな価値観があって、正しい価値観なんてものは無い、という内容で…それを読んだ時、僕は雷に打たれた思いでした。カトリック系の学校だったので、そこで習った隣人愛だとか人への奉仕といったキリスト教的な価値観こそが正しいんだと、信じていたんです。でも、その本を読んで、いったい何が正しいのかわからなくなった。ならば、自分に一番フィットする価値観を見つけてから、人生を走っていきたい。そのために、いろいろな価値観に触れることができて、それを相対化して見ることができる学問をやりたいと思い、社会学部を志望しました」

進むべき道を見つけた小沼氏は、念願かなって一橋大学の社会学部に進学。大学生活が始まると、入部したラクロス部の活動に多くの時間を割き、主将も務めるほどの熱の入れようだった。

「実は、中学・高校の野球部でもキャプテンだったんですが、納得のいく結果が出せなくて、精神的にもリーダーと呼ぶにはほど遠いものでした。思うようにいかなかった"負の経験"を、なんとかして誇れるものにしたくて…ちょっと変な話ですが、大学でも主将としてチームを引っ張ることにこだわりました」

ラクロスに勤しむ傍ら、小沼氏は、進学の目的であった社会学の追究にも余念がなかった。部活動のオフにはバックパッカーとして世界の途上国を廻り、さまざまな価値観に触れていった。そして迎えた最終学年。同期生が就職活動に励むなか、小沼氏が選んだのは、明らかに周囲とは異質な道だった。

自力で状況を切り拓いた原体験

「僕が強く惹かれたのは、青年海外協力隊でした。理由は、自分とは異なる世界への好奇心を突き止めたかったから。バックパッカーとして旅しているだけだと、現地の人とは結局"いい人対いい人"で終わってしまう。もっとぶつかり合わないと人間関係は作れないですし、現地の人たちの価値観もわからない。それに、どうせなら、人と違った面白い生き方をしてみたいと思ったんです」

小沼氏は、大学院入試と青年海外協力隊の入隊試験を併願。幸いどちらにもパスすることができ、大学院を休学して、協力隊に参加した。言い渡された派遣先は、中東の国シリアだった。

「向かったのは、シリアのゴラン高原にある人口2,000人ほどの村でした。当時そこは兵力引き離し地帯で、戦車や兵隊を置いてはいけない地域でした。村はとても平和で、国自体も安定していました」
とは言え、22歳の日本人が放り込まれた環境は、決して生やさしいものではなかった。

「マイクロファイナンス*というプロジェクトの調査をやることになったんですけど、初めはそれが何かもわかっていませんでした。しかも、村の人たちとのやり取りは、初めてのアラビア語。さらに、僕の上司として来ることになったドイツ人の経営コンサルタントとは、英語で話さなきゃいけなくなった。当時の僕は英語もおぼつかなかったので、2つの言語を同時に学ばなきゃいけませんでした。それに、現地のインターネットはダイヤルアップ回線でかなり遅かったので、ほとんど使えない。自分以外に頼れるものなんてありませんでした」

自ら身を投じたとはいえ、想像を超える過酷な状況。だからこそ大いに鍛えられたと、小沼氏は言う。

「最終的には、全力でやりきることができたと思っています。この先何があっても、自分のベストを尽くせば、その場を切り拓いていける自信というか、人生における胆力が身につきました」

*マイクロファイナンス:貧困層向けの小規模金融の総称。貧困層の人々の経済的な自立を促すことで、貧困問題を解決することを目的とする。

正しい価値観なんて無い

画像: 青年海外協力隊時代の小沼氏とシリアの子どもたち

青年海外協力隊時代の小沼氏とシリアの子どもたち

その村に派遣された小沼氏は、シリア国内にあるNPOの支部職員として活動。そこで、忘れられない体験をする。

「NPO支部の委員を村民から選ぶという選挙を行いました。委員に選ばれると、その後の村の発展の意思決定権を持つという、重大な選挙です。それが公正に行われるよう監視するのが、僕の役割でした。それまでは、村の権力者数人だけの合議で委員が決められていました。"それじゃ不公平だから、これからは民主主義のやり方にのっとって公平に選挙しましょう"と提案したんです」
ところが、それは信じられない事態を呼んだ。

「みんな不正だらけで、一人で投票用紙10枚書いちゃう人なんかもいて、まったく選挙にならない。思わず僕は彼らを責めてしまいました。"なんだこれは! ちゃんと民主主義をやらなきゃだめだ!"」

しかし、小沼氏は、やがて大きな思い違いに気づく。その村は、それぞれ数百人からなるたった7戸の大家族で構成されており、その代表同士が話し合うことで、絶妙なバランスをとってきた。選挙が公正に行われれば、それが一気に崩れ、村の人々の利権がつり合わなくなる。よかれと思って導入しようとした民主主義の論理が、村を乱してしまう―。小沼氏は、強く自分を責めた。

「もともと平和だった村を、壊そうとしてしまった。彼らには、それを守るために不正までさせてしまい、しかもそれをとがめてしまった。価値観の押しつけってこういうことかと、身を持って知りました」

さらに、追い討ちをかけた出来事があった。小沼氏が家族同然に暮らしていた村の一家には、12歳の優秀な長男がいた。"彼にもっと広い世界を見せてあげたい"と考えた小沼氏は、その長男を首都のダマスカスに何度か連れて行く。しかし、それが村の人々の批判を買うことになる。

「"彼自身が相対的に貧しいことや、都会の人たちよりもチャンスが限られていることを気付かせてしまうのは、彼にとって幸せなことではない"と言われて…。少なくともその村では、文化や習慣を守っていくのが正しいことだった。そういう世界があるんだと、気付かされました」

これらの経験が、のちに小沼氏にとって大きな教訓となった。

「自分とは異なる価値観を認める、という考え方ですね。価値観がクロスするような場では、お互いの流儀を尊重しなければ、かえって不幸を生んでしまうということを、直に勉強させてもらいました」

ビジネス×社会貢献が、情熱を生む

画像: ドイツ人の経営コンサルタントたちと小沼氏

ドイツ人の経営コンサルタントたちと小沼氏

小沼氏は、2人のドイツ人の経営コンサルタントとともに、その村で約1年間活動を続けた。当初は、なぜ経営コンサルタントがわざわざNPOの現場に来るのか、真意がつかめなかったと言う。

「国際協力の世界とビジネスの世界が交わるなんて、当時の僕は想像もしてなかったので、"なんだかお門違いの人が来たなあ"という気持ちで見ていました…」
しかし、いざ一緒に働きだすと、その疑念は驚きへと変わった。

「プロジェクトマネジメントを、とてもしっかりとやっている。責任の所在を明確にし、KPIを正しく設定し、物事を効率的に進める方法を示す。ビジネスの力を借りてNPOの活動を進めることで、課題が明らかになり、それをどう解決していくべきかが見えてくるんです。それを目の当たりにして、ビジネスの力って社会貢献の場でも生きるんだ…!と、初めてわかりました」

さらに、ドイツ人コンサルタントたちが見せた変化も、小沼氏の心を動かした。

「ビジネスパーソンである彼ら自身が、仕事を通じて村に貢献して"ありがとう"と感謝されることで、すごく目が生き生きとしてくる。シリアの人たちって、村のために自分ができることを熱く語れる人ばっかりで、その熱が彼らにも乗り移っていったんです。ビジネスの世界の人が社会貢献の場に来て起こる、化学反応。これは面白いなと思いました」

その気づきは、"人生でやるべきこと"を小沼氏に教えてくれたと言う。

「社会貢献とビジネスの世界をつなげるために、僕は生きていきたい。それが使命なんじゃないか、と。かつて社会学の本に出会った時のように、はっきりとそう思ったんです」

人生の目的は決まった。では、次のステップに行くためにはどうするべきか。

「ビジネスの世界を勉強しなきゃいけないと考えました。でも、どうすればいいかわからない。そこでドイツ人の上司に相談したら、"それなら経営コンサルだよ!"と。"じゃ、そこに行きます"ってことで、日本に戻って就職活動を始めるんです」

企業に入って、目の輝きを失った同期生たち

小沼氏は、2006年の初冬まで、約2年間にわたりシリアで活動。帰国すると、一足先に社会人となっていた大学時代の同期生たちと、ひさびさに飲みの場を持った。

「帰国した頃の僕は、協力隊に参加する前よりさらに青くさくなっていて、熱い想いが高まっていました。もともと大学の同期たちも熱いヤツらで、働くことへの情熱を持っていた。4年生の時に僕が"なんで就活なんかするんだ?"と訊いたら、みんな口々に"会社に入って日本を変えたい""ものづくりで世の中をよくしたい""金融の力で日本経済をもう一度元気にしたい"と答えたのを憶えています」

シリアで火がついた情熱も冷めやらぬなか、懐かしい面々と再会した小沼氏。しかし、彼らの口から出た言葉に、愕然とさせられる。

「週末のゴルフや合コンの話題しか出てこなくて…僕から見ると、彼らがかつて持っていた目の輝きは、もう失われていました。"ビジネスと社会貢献をつなげたい、そのためにビジネスを学びたいんだ"って僕が語り始めると、"おまえ、まだそんな熱いこと言ってるのか"と。"そんなの企業じゃ通用しない。おまえも早く会社に入って大人になれ"と諭される始末で…。それを聞いて、すごく悔しかったですね」

企業に入って、情熱を失ってしまった友人たち。それが逆に、小沼氏の"想い"にさらなる火をつけた。

「ますます、ビジネスと社会貢献を結び付けたいと思いました。本当は想いを持って就職したのに、組織に入ったことで、彼らから、働くことへの情熱が失われてしまった。しかし、シリアでドイツ人コンサルタントが見せたように、ビジネスの力を使って社会に貢献し、目の輝きを取り戻すという経験をすれば、友人たちのようにくすぶっている日本のビジネスパーソンにももう一度火がつき、その情熱が企業の中にも広がっていくのではないか。なぜなら、彼らはもともと熱い志を胸に秘めているのだから」

シリアでのポジティブな経験と、日本でのネガティブな経験。この2つが、その後、小沼氏の情熱をさらに加速させていく。

次回、小沼氏はその志に共鳴する同志たちに出会い、経営コンサルタントでの勤務を経て、留職プログラムの事業化へと突き進んでいく。特定非営利活動法人クロスフィールズ立ち上げまでの取り組みと、これからのビジョンに迫る。

画像: プロフィール 小沼大地(こぬまだいち) 1982年、埼玉県所沢市に生まれ、その後神奈川県横浜市に育つ。一橋大学社会学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。大学院在学中に青年海外協力隊に参加し、約2年間シリアに派遣される。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社での勤務を経て、2011年、松島由佳氏と共同で特定非営利活動法人クロスフィールズを都内に創業。同法人の代表理事を務める。

プロフィール
小沼大地(こぬまだいち)
1982年、埼玉県所沢市に生まれ、その後神奈川県横浜市に育つ。一橋大学社会学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。大学院在学中に青年海外協力隊に参加し、約2年間シリアに派遣される。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社での勤務を経て、2011年、松島由佳氏と共同で特定非営利活動法人クロスフィールズを都内に創業。同法人の代表理事を務める。

Next : リーダー育成で、企業を変える 第2回 >

このシリーズの連載企画一覧

社員を覚醒させる原体験、「留職」 >
釜石ブランド マイナスからの挑戦 >
疲労の国が医療を変える >
イノベーターは、校長先生 >

メールマガジン メールマガジン

This article is a sponsored article by
''.